同じ転覆ボートに乗っていた花菜の友人が、「二度と繰り返さないよう、教育現場で教訓を共有してほしい」とその思いを語ってくれました。


<中日新聞より引用>

 

 花菜の死 教育に生かして

 

 浜松市北区の浜名湖で2010年6月18日、野外教育活動中の手漕ぎボートが転覆し、愛知県豊橋市立章南中学校1年の西野花菜さん=当時12=が亡くなった事故から、18日で8年。同じボートに乗っていて助かった親友の女性(21)は今も心に傷を抱きながらも、「二度と繰り返さないよう、教育現場で教訓を共有してほしい」と体験を語り継ぐつもりでいる。

 

 同級生 恐怖胸に語り継ぐ

 

 西野さんとは小学1年から仲良しだった。小中学校の音楽の部活も一緒。二泊三日の浜名湖の野外活動も楽しみにしていた。あの日は午前中から風雨が強かった。「こんな日に訓練するの?」。不安だったが、学校と訓練を委託した施設との協議で決行が決まった。ボートは20人乗りで、教諭二人も同乗。しかし、漕ぎ方の練習は30分だけ。教諭も初心者だった。

 

 出航してすぐ、荒れた湖面にボートは立ち往生した。事故は、施設のモーターボートでえい航される際に起きた。ひっくり返ったボートの内側に閉じ込められ、湖面から頭一つ出すのがやっと。波が来るたびに口に水が入り、息ができなかった。悲鳴が響く中、一人ずつボートの外に救助されていったが、西野さんの姿はなかった。「花菜がいない」。何度も教諭に伝えた。混乱の中、ボートの内側から西野さんが救助されたのは約二時間半後。すでに息はなかった。

 

 「先生たちの判断で中止できたのでは」。事故後、女性は教諭らにそう訴えたが、明確な回答は得られなかった。精神的に不安定になり、最近まで心療内科などに通院、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。水が怖く、今もテレビで海の映像を見るだけで、あの日の恐怖がよみがえる。

 

 そんな体験から、心に傷を負った子どもたちを支える側に回ろうと、愛知県内の大学で臨床心理士を目指して勉強に励む。

 

 「なぜ学校の授業で、花菜が死ななくてはいけなかったのか」。子どもたちの命を預かる先生たちは、この事故を忘れず、常に自ら問い続けてほしいと願っている。

 

<引用おわり>