事故から8年目の6月18日は、各地で風化防止の取り組みが行われました。
豊橋市では市内の全小中学校で「豊橋・学校いのちの日」としてそれぞれの取り組みを行いました。
花菜の在校していた豊橋市立章南中学校では、花菜が使っていたヴァイオリンで「命のコンサート」が行われました。下記は当日のNHKのニュースです。
東愛知新聞より引用
静岡県浜松市の浜名湖で豊橋市立章南中学校のカッターボート訓練中に転覆して、1年の西野花菜さん(当時12歳)が亡くなった事故から8年、同中学校では全校生徒297人が黄色い風船を空に飛ばして、天国の西野花菜さんの冥福を祈り、命を大切に生きていきことを誓った。
朝の全校集会で全校生徒と全職員が西野さんの冥福を祈り黙とうを捧げ、宮林秀和校長から命の大切さについての講話を聞いた。生徒らは、各教室で風船に付けるメッセージカードにそれぞれの思いを書き込み、バルーン・リリースのセレモニーに臨んだ。
生徒会長の3年・郡山知己さんが「命は普段、当たり前のようにあるものだけど、一瞬で消えてしまうとても大切なものです。バルーン・リリースで、私たちが一生懸命に生きてくことを空の向こうにいる西野先輩に伝えましょう」と呼び掛けた。
宮林校長は「力いっぱい生きていくという誓いを固くし、西野さんのことを思い続けるということを示してください」と生徒らに語り掛けた。
生徒らは、メッセージをくくり付けた黄色の風船を南校舎の窓から一斉に空へと放ち、西野さんの追悼のために作られた曲「未来(あした)へ」を合唱した。この日は、西野さんが当時バイオリンを習っていたバイオリニストの大竹広治さんらによる「いのちを考える演奏会」も開かれた。「平和を願ういのちの音楽会」の実行委員長でもある大竹さんが、西野さんが使っていたバイオリンで生演奏を披露。生徒らは命の躍動を感じ取れる楽曲などを通して、命について見詰め直した。
同校では、事故に関する「プレート」や「花菜文庫」を設置するなど事故を風化させない取り組みも行っている。
事故は、2010(平成22)年6月18日、浜名湖で野外活動中だった章南中1年の生徒18人と教諭2人が乗ったタッカーボートが悪天候で漕艇不能になり、ボートでえい航中に転覆。生徒らが湖に投げ出され、逆さまになった船体内側に閉じ込められた西野花菜さんが亡くなった。同市が事故を機に「豊橋・学校いのちの日」を設定し、毎年6月18日を中心に市内の全小中学校で命に関する取り組みを行っている。
(井嶋義典)
<引用おわり>
私たちは、事故現場の三ケ日青年の家に遺族の思いを届けました。
過去を教訓に
2018年6月
花菜の父親 西野友章
あの事故からまもなく8年が経とうとしています。
祭壇の遺影は12歳のままで、ずっと笑顔です。
遺影の周りには、たくさんの同級生たちからの贈り物があります。
今年の1月、成人式を迎えた同級生たちは、夢や希望を語っていました。
花菜もいっしょに晴れ着姿の同級生たちに囲まれて、遺影の中で笑っていました。
もう戻らない花菜ですが、成長している姿を想像すると、心が和んだり、悲しみや怒りが出てきたり、特にあの6月が近づくと、どうしても不安定な心になってしまいます。そうした中でいつも行きつく思いは、「あのような事故は二度と繰り返してほしくない」との願いです。
しかしながら、全国では今でも防げたはずの事故で子どもの命が失われているようです。そして、決ってその責任についての議論に終始し、事故の教訓を生かす施策につながっていることが少ないように感じています。
花菜を失って得た教訓は、「主体的にみんなで命を守る」ことだと思います。8年前の事故現場である三ケ日青年の家は、安全・安心の確保のために不断の努力を重ねていると伺っております。私の願いは、その努力に触れたすべての方がいのちの大切さを学んで、安全最優先の海洋活動に取り組んでくれることです。また、ここで学んだこと、感じたこと、体験したことを「主体的にみんなでいのちを守る」ことにつなげてほしいと思います。そのことが、遺影の笑顔の花菜の願いでもあると思います。
静岡県立三ケ日青年の家では「安全確認の日」の式典が行われました。
静岡県立三ケ日青年の家では、「安全確認の日」として、参列者に私のメッセージを届けるとともに、花菜への献花をし、二度と繰り返さないこと、風化させないことを誓う式典が行われました。また地元の三ケ日中学校の生徒さんが「未来(あした)へ」を歌った映像流して、花菜のいのちのメッセージを訴えました。
<静岡新聞より引用>
再発防止へ決意新た
浜名湖で2010年、県立三ケ日青年の家のボートが転覆し、愛知県豊橋市立章南中1年の西野花菜さん=当時(12)=が死亡した事故は18日、発生から8年を迎えた。同日午前、浜松市北区の青年の家と同校で追悼行事が営まれ、関係者は西野さんの冥福を祈るとともに、再発防止への決意を新たにした。
県立三ケ日青年の家ての追悼式では、県教委や県内青少年教育施設の関係者約30人が野外活動中の安全徹底を誓った。
代表者が西野さんをイメージした少女像に献花し、黙とうをささげた。木苗直秀県教育長は「安全は全てに優先するとの信念の元に野外活動の実施に努めたい」と述べた。
西野さんの父友章さんはメッセージを寄せ、「事故の教訓はみんなで主体的に命を守ること。命の大切さを学び、安全最優先の海洋活動に取り組んでほしい」と再発防止を訴えた。青年の家の城田所長が代読した。
浜松市立三ケ日中1年生による西野さんの追悼歌「未来(あした)へ」の合唱も映像で披露された。
西野さんのバイオリンで演奏 豊橋・章南中
西野さんが通っていた豊橋市立章南中では全校生徒約300人と全教職員が黙とうをささげた。宮林秀和校長は「花菜さんはわずか2ヶ月半の中学校生活で突然、医師になる夢を奪われてしまった。きょうは先生が生徒の命をどう守るか考える日。皆さんも自分の命について考えてみてほしい」と呼び掛けた。
小学1年からバイオリンをい習っていた西野さんの愛器で、名古屋市のバイオリニスト大竹広治さんが演奏を披露。全校生徒は西野さんへのメッセージを付けた黄色いバルーンを放ち、冥福を祈った。
<引用おわり>
静岡新聞が、三ケ日青年の家の海洋活動の状況と遺族の思いを伝えてくれました。
浜名湖ボート事故 あす8年
「豊橋の学校戻ってきて」
浜名湖で2010年、県立三ケ日青年の家(浜松市北区)のボートが転覆し、海洋活動中の愛知県豊橋市立章南中1年西野花菜さん=当時(12)=が死亡した事故では18日で発生8年を迎える。事故後、海洋活動が再開されて今年で3年目。浜松市の小中学校を中心に利用は回復しつつあるが、豊橋市内の中学校は利用を見合わせている。関係者からは「何もしないことが事故の教訓ではない」と浜名湖での海洋活動再開を望む声が上がっている。
青年の家 海洋活動
「事故があった浜名湖。各校長には保護者にどう説明するかという意識もあり、野外活動の場としては遠慮したいというのが本音ではないか」豊橋市の山西正泰教育長は事故前に複数の中学校が積極的に参加していた浜名湖での海洋活動の教育的意義を認めつつ、各校の意思決定をリードする校長の間で、浜名湖の利用を避けている現状を明かす。
カッターボートに乗船する海洋活動は事故前、青年の家の”名物”だった。浜名湖の自然に親しみ協調性や忍耐力を養うーとして県内外から毎年数十校の参加があった。事故後、運営者が変わり約5年10ヶ月ぶりに海洋活動が再開され16年度は、学校や保護者の不安が根強く浜松市内など計6校の利用にとどまった。だが、安全対策や活動実績を重ねて信頼回復に努め、18年度は20校以上の利用が見込まれている。
豊橋市内の中学校は事故を受け青年の家の利用を中止。愛知県内外の別施設で野外活動を行っている。ただ、西野さんの父友章さんは「教育目標があって浜名湖を利用していたはず。その目的はどこにいってしまったのか。事故があったことで浜名湖が避けられているとすれば娘の命はなんだったという思い」と吐露する。
青年の家の城田守所長は「施設としては安全対策を重ねるだけだが、事故を風化させないためにも豊橋の生徒に青年の家を訪れてほしい」と言葉に力を込めた。
<引用おわり>
<当時の三ケ日青年の家の指定管理者、株式会社小学館集英社プロダクションでは「償いの日」として、全社で風化防止の取り組みが行われました。>